ゲームは「要領がいい人」を作る
「要領がいい」といわれる人たちがいる。要領は「そのゲームのルールを理解して最適解(効率のいい方法)を導きだすこと」なんだろう。
企画を社内で通すのも、好きなあの人を落とすのも、就職活動も、キックボクシングの大会で優勝するのもルールがある。
事前に知らなかった企画は絶対に通さない上司がいるなら事前に根回しをする。あの人さえOKと言えば絶対に通るならその人が好きそうな説明の仕方をする。企画を通すだけでもいろんな形のルールがあり、それを理解しないとゲームには勝てない。王将以外の駒をどれだけ取っても勝てないのと同じだ。
TV/携帯ゲームには現実よりも分かりやすくルールが存在するが、意外とルールが多いので考えないと最適解がわからないようになっている。だが、最強を目指すと必要に駆られて、ルールの理解が上手くなる。
劇的に要領がいい人、人生のどこかでゲームを真剣にプレイしている率が異様に高い。
邪悪な人の見分け方
世の中には邪悪な人がいる。邪悪な人とは他人を精神的に傷つける人である。「傷つけてやる」と意識してなかったとしても、その人自身を守るために他人を傷つけている人は邪悪な人と定義する。
邪悪な人は自分から邪悪になった人もいれば、環境などが原因で意図せず邪悪になったりするので、責めるべきではないこともある。とはいえ、傷つけられるのは嫌なので距離を置くのが正しい選択だ。
しかし、邪悪な人を見分けるのが苦手な人は多い。私の周りにも気づかずに傷つけられる人がいる。そこで複数回にわけ、邪悪な人の見分け方を説明することにした。
- 初対面編
- 数回会ってる編
- 異性編
- 恋人編
- 仕事関係編
初対面編で出てくる特徴が当てはまれば確率50%で邪悪。しかし数回会ってる編に出てくる特徴も当てはまると確率が90%くらいに上がる。また、特定の状況に出てくる邪悪さ、邪悪なんだけど関係性によって気づかないパターンもあるので複数用意した。
能動的に関係を持たないと友情は作られないし、短期間でも作られない
「あるコミュニティ内で浮気などしたことが友達にバレ、軽蔑され見捨てられることを嫌う」状態を、自分とその友達の間に友情があると定義する。「浮気する利益<友情を継続する利益」と判断している状態だ。
残念ながらこの定義での友情関係を一切持っていない人は多い。友達に価値を感じない人が。
そんな人の共通点を探っていくと、能動的に友達関係を築いてこなかったケースが多い。「スクールカーストが同じだったから」「勧誘を断りきれずに入ったサークルで」「利害が一致していたから」仕方なく付き合っている。
この人おもしろい!orおもしろそうかも...? けれどほとんど話したこともないし、自分から行かなきゃ知り合いのままだ。という状態を打破することで、そしてその後の友達関係を数年継続することで初めて友情は生まれる。勇気の結果であり、時間をかけて育んだものだから絶対に失いたくない。
相手を知りたければ友情関係を聞き出そう。
男は男が性欲で動くことを知っている
男性の方が「ゲイとか襲われそうで怖いんだけどw」などと発言する確率が高い。理由は2つあって、1つは女性より人前で下品なことを言いやすい文化があるから、そしてもう1つは「男が性欲で動く生き物だと知っているから」だ。
その人が性欲の奴隷と化して手当たり次第女性を口説いてなかったとしても、周りにそういう人がいることを知っている。だから自然にそう発言してしまう。
肌感覚としては性欲の奴隷になってしまう男は半数近くいるのではないだろうか。twitterで有名な男なんてほぼ全てそうだと思った方がいい。奴隷になる人は良くも悪くもアグレッシブなことが多いので目立つし、ヤるために目立とうとする。
まともな恋愛がしたいなら目立とうとしない人の方がいいが、悲しいかな女性は目立つ人に惹かれる。ちなみに、外見が地味だから安全なわけではない。実生活で地味だがネットで目立とうとする獣はたくさんいるのだから。
他人に期待する人
自分が完璧だと思ってる人、他人への期待が高すぎて終わってる。他人への期待が高い時点で完璧ではないのだが。
批判に余計な一言を付け加えて人格批判をしている人。突然「そんなこと言う人だと思ってなかった」とか言っちゃう人。自分のミスは許せても他人のミスは許せない人。Twitter、ブログのコメント欄、そして社会生活でよく見かける。
自分の準備・行動は完璧だと思ってるから、予期せぬ他人の行動や、突発的な事故に対応できない。対応できないどころか他人を批判し始める。その時間があったら対応した方が時間の無駄じゃないと思うんだけど...
逆に、後から対応すれば良いと思ってる人は準備を怠りがちだ。私は完全にコレ。これはこれで問題があるけど、他人に怒らないところが良いところだと思ってる。
それはさておき、準備もできて問題が起きてから対応できる人はほとんどいない。どんな環境でそんな人は生まれるんだろう。
一緒にいて楽しい友達
似たような性欲の人間としか友達になれない。と最近まで思い込んでいた。クラブへ行くのか、合コンへ行くのか、異性がいなくても遊べるのか。
異性がいない方がトラブルが少くて良い、と思っている性欲が低いグループの人間で、そういう友人と遊んでいるのが面白かった。
しかし、最近は遊んでも満足できない。異性が欲しいわけでもない。ただ、生きていく上でのモチベーションが同じ人と遊びたいと思うようになった。
今、自分をレベルアップさせるのが楽しい。知識を増やすのも、ゲームのテクニックを上げるのでもなんでもいい。ただひたすら自分のレベ上げをするのが楽しい。レベ上げが人生の楽しみになっている。結果、ただ楽しいだけの関係に全く満足できなくなってしまった。嫌いになったわけじゃない、時間の無駄だと思うようになってしまった。
言葉ではよく聞く「成長しあえる友人」いったいどこにいるんだろう。それを見つけるのもまた成長なんだろう。
女性だけに求められている規範
電車内で化粧をするなという意見、なぜ主に男性からの意見なのだろうか。それは「認識の差」にある。
私的な場でするようなことを公共の場で行うことを人間は嫌がりがち。電車内で化粧をする女性が出現し始めたときに女性からも非難の意見が多かったことからもそれが分かる。現在は、車内で化粧をする女性が一定数を超えたため(少なくとも女性は)何とも思わなくなっているだけにすぎない。
男性が整髪しなくてはいけない社会が訪れたら、男も車内でワックスを付けだすだろう。だが現在はまだその社会が訪れていない。そのため男女間で認識の差が生まれている。
私的な場で行うこと(例:整髪)が社会的規範になっていなから、私的な場で行うことを公共の場で行っている女性を理解できないのだ。「整髪は家ないしはどこかの御手洗いでするものでしょ?女性の化粧も同じでしょ?」と。
無論、化粧が規範になっていることが問題の原因であることは言うまでもない。